メロンパンとあんことひとりごと。

ドラ様とみにどらちゃんとの暮らし

胎児発育不全と診断をうけた日。

 

こんにちは、どら美です。

 

 

 

タイトルの通り、わたしが息子を妊娠中に胎児発育不全と診断を受けた日からの話(気持ち?)を書いてみようと思います。

 

息子が発育不全と診断されてから、日記ほどではないような感情のメモは携帯に残してるんですけど、未だに私自身が整理できていなくてなかなかまともに読めず、なかなか書けません。

でも、あれからもうすぐ1年が経ちます。

 

 

誰かを傷つけたくて書くのではなくて、私自身先が分からないことが不安だったから、誰かの参考になる1つの例になれたら、と思って書いてみることにします。

 

不安でいっぱいの誰かの目にとまって、この人に不安な気持ちを話してみようかな、なんて気軽に思ってもらえたら。

 

 

わたしは医療従事者ではないし、既に記憶は曖昧な部分もあるし、当時とても感情的になってしまっていたから(今もかな?笑)間違いもあるだろうし、不安を煽ったりするつもりはないし気をつけますが、不愉快になってしまいそうな方はすぐに閉じてくださいね。

 

 

 

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息子は34週と3日、緊急帝王切開で1,260gの極低出生体重児として産まれてきました。

 

マタニティライフまで遡るつもりはないけれど、わたしは息子が生まれてきたおかげで、赤ちゃんをお腹の中に授かって、この世に送り出すことが、どれだけ奇跡的なことなのか本当の意味で知った気がします。

 

 

 

頭では分かっていたつもりだったけど、なかなか授かることができなかったこともあって、本当に日々浮かれていました。

もちろん不安もあったけど、それは出産・子育てという未知なものに対しての不安。ハッピーでいっぱいでした。

いつからだったか、妊婦健診で見られるエコーは赤ちゃんに会える楽しみな時間でしかありませんでした。

 

 

その日もいつものように妊婦健診。

助産師さんが手際よくエコーで問題ないか確認してくださいます。手や足、顔が見えないかなーと期待しながら画面を覗き込む私。

 

 

ところがなんだかやたらと長い。もうお腹が冷えちゃうほどに長い。いろんな画像をプリントしまくっていて、床に溜まっていくほどに。

 

いつもと違うことはなんとなく感じたし、助産師さんの焦りは伝わってきてたけど、まだまだ呑気だった私。

 

その後、いつものように診察室で経過を聞いてびっくり。

 

先生:「うーん、ちょっとやっぱり小さいね。あとこれね、単一臍帯っぽくて、珍しいことじゃないんだけど、赤ちゃんが大きくなれないのが気になるから、一度大学病院いって検査受けてきて。もしまた成長が追いついてきたら戻ってきたらいいから!」

 

実はこの日までにも赤ちゃんが小さめなことは指摘されていて、次までにこれくらい、次までにこれくらい?と言いながら経過を見てもらっていました。

赤ちゃん大きくなってもらうためだからと言っていっぱい食べれば良いってもんじゃないからね!と念押しされていて、自分の体重増加にも気をつけつつ、何もできないのがもどかしかった。

 

でも、だから、大事とは思っていなくて、2日後に大学病院に行くことにしてその日は帰宅しました。大学病院で検査してもらったら原因も分かるだろうし、食生活とかもアドバイスもらおう。

 

 

 

ここで言われた単一臍帯というのは、単一臍帯動脈のことで、通常だと臍帯は1本の静脈と2本の動脈の3本で構成されているところ、なんらかの原因で動脈が1本しかない状態(先天的なのか後天的なのかもよく分からないらしい)のこと。

家に帰ってからひたすらネットで調べて、「全体の約1%に見られる」っていうのを見て、それが多いのか少ないのか分からなかったけど、お腹の中の赤ちゃんにとって辛い状態になっていないことをただただ祈るのみでした。

 

 

 

 

週が明けて月曜日の朝イチ。

どんよりした重たい雲が漂っていて、朝からムンっとした日。

午前休みをとってくれたドラ様に付き添ってもらって、大学病院へ。

 

 

現れたのは教授感のすごい先生。無口で表情のない感じ。

いつものようにエコーを診てもらう。

ぐいぐいお腹を押すのがものすごく痛かった。

 

 

 

 

このまま放っといたら死んじゃうから。これ以上大きくならないタイプの赤ちゃんだから。

 

と、言われて青ざめました。

 

 

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今では立派ないたずらboy。